大正12年生まれの父は、戦争体験がある
忘れられない。
頭からはなれられない。
「鉄砲の玉があたった傷だよ」父の右足のスネの傷跡を見せながら
戦争の傷跡を話してくれた。
幼い私には、痛かったことを察する以外戦争がどんなに過酷なものか全く解らなかった。
それ以来戦争の話を聞くことはほとんどなかった。
思い出すのもつらかったのかも知れません。
軍歌を歌う
90歳になってから、軍歌を歌うことが多くなった。
カラオケが大好きで歌謡曲を歌っていた父が、最近は、軍歌を口ずさんでいる。
ここは御国を何百里離れて遠き満洲の・・・
満洲で起こったこと
戦友のこと
思い出しては涙ぐむ
戦争のことはすっかり忘れていたのに、、、
軍隊に行く
さあ〜軍隊に行って来まあ〜す
毎日、夕方になると外に出かける。
自分の使命のように外に出る。
お父さん、軍隊なんてないのよ。
誰もいないのよ。
と止めるのですが、物凄いけんまくで「何言ってるんだ」
行かなきゃならないといってわたしの止める手をのける。
そして
姿が見えない程歩く。
隊長に叱られる
いささか「もう家に帰ろう」
暗くなって来たから「帰ろう」
いいや 帰るわけにはいかない。
わたしの手を振り払う。
隊長に迷惑かける。
隊長に叱られる。
隊長にどんなにひどいことされるか解らないという。
電話で隊長に謝る
隊長に電話をして、今日はお休みさせてもらいましょう。
隊長の役を妹や弟にしてもらいます。
時には、父が受話器を持ち丁寧に詫びる。
99歳になり、人生を振り返ると戦争体験が様様と蘇る。
軍服を着た若い頃の自分
ボケていても、人生で一番恐ろしかった記憶だけが残っている。
激戦地を駆け回っていた記憶
飢えてる、
目の前で人が死んでいく、殺される。
悲惨な記憶が今も脅やかす。
もう戦争は絶対にしてはいけない!